2010年12月30日木曜日

日本に難民はいるんですか

アムネスティ・フィルム・フェスティバル2011では、スイスの難民受け入れ施設を描いた『要塞』を上映します。
故国を離れ、世界中からやってくる亡命希望者たちと、申請の受け入れ可否を判断する施設職員とのやりとりを通して、彼らが生きてきた社会の一端をかいま見ることになります。

そして、上映のあとには、


「日本にも難民はいるんですか?」



と題した対談を行い、私たちの近くにいる難民について考えてみたいと思います。


全国難民弁護団連絡会事務局長であり、弁護士の渡邉彰悟さんと、ビルマ難民のマリップ・センブさんの対談です。
マリップ・センブさんは「カチン民族機構」の日本事務局長でもあります。

「カチン民族機構」はビルマにおける少数民族カチン族の実情を国内外に発信しています。日本には約400人のカチン族が住んでいるそうです。
国連が推奨している第三国定住制度によって2010年、日本にやってきたビルマ難民も少数民族でした。
ビルマの主要な問題は少数民族への人権侵害です。
『ビルマVJ 消された革命』は民主化を求める人々に焦点を当てていますが、もし民主化が実現したとしても、少数民族の問題が解決されるとは限りません。

 
映画と対談を通して、私たちの身近にいるはずの難民を知り、何ができるのかを考えるきっかけになるのではないでしょうか。
 
映画『要塞』は29日14:30、対談は16:35 からです。
『ビルマVJ 消された革命』は29日11:00。
 

2010年12月14日火曜日

『BOY A』 犯罪者は変われるか

前回はイベントの紹介をしました。今日は、2日目の最初に上映する『BOY A』についてです。



いつだったか、更生施設建設反対運動のニュースの流れで、矯正施設のボランティアをする女性たちのリポートを、テレビで見たことがあります。


「最初は別世界の人間のようで怖かった。でも、自分の子どもと同じくらいの少年たちと接するうちに、彼らなりの理由があって罪を犯したのであり、元から悪い子ではなかったはずだと思うようになった」。そんなようなことを彼女たちは言っていました。
見知らぬ他人だった犯罪者が、言葉を交わし、視線を合わせ、心を通わす「○○くん」になった。相手を知り、時間がたつにしたがって、彼らを受け入れる準備が出来ていったのでしょう。


私たちが犯罪者を知るとき、ほとんどが「残虐な」「むごたらしい」という形容とともにあります。少なくともマスメディアに、同情的な報道は皆無です。犯罪者が社会に戻ってくるときも、その印象のまま戻ってくると私たちは考えがちです。本当にそれは正しいのでしょうか。

罪を犯した人が社会に戻ってくるまでには長い時間があります。その年月のあいだにさまざまな人との関わりがあり、環境が変われば人間も変わります。そして、生き直し。新しい人生を見守ってくれるソーシャルワーカーの存在もあります。


さて、もし自身の親しい友人が、そのむかし罪を犯し、「悪魔の少年」として世間を震撼させたと知ったらどうですか。いつも隣にいる友が、以前は別の人間だったら。

 
(WE)

2010年12月7日火曜日

心ふるえるアイヌの響き

第3回アムネスティ・フィルム・フェスティバルの開催まで2か月を切りました。
ここで、イベントのご案内をいたします。

来年1月30日、アムネスティの映画祭のラストを飾るのは、首都圏に暮らすアイヌ民族を描いた『TOKYOアイヌ』です。
そして同時に、アイヌの人たちが直接、彼らの音を届けてくれることになりました!
ライブで接する声と演奏は、記録された映像とはまた違った味わいがあります。


◆こころを揺らすアイヌ語の響き、ウポポ(歌)とカムイユカを聴く◆

出演

弓野恵子さん(東京アイヌ協会副会長)

  ムックリの演奏とカムイユカ(アイヌの神謡)の一節より


 ムックリ: アイヌの民族楽器で、竹でつくった口琴。
 カムイユカ: 神々に起った出来事を語り伝えた物語りうた。


島田あけみさん(アイヌウタリ連絡会事務局)

  「アイヌ ネノアン アイヌ」(人間らしい人間)

  (作詞・作曲 鷲谷サト / 補筆 萱野茂 )

   
 多くの日本人は初めて、この映画『TOKYOアイヌ』の中で、首都圏で日々を暮らしながら、この列島の先住民族として復権を求める、同時代の隣人たち=アイヌに出会うことでしょう。

アイヌとは人間という意味。
楽しそうにアイヌの料理を作り、刺繍をし、歌を歌い、踊るアイヌたち。
一方で、無理やり連行され、あるいは差別を逃れるために、あるいは就学就職のために上京し、マジョリティーの無関心の中で、首都圏で亡くなっていった先祖や仲間たちを厳かに供養し、カムイと交信する人たち……。

今回出演してくださるのは、映画にも登場する弓野恵子さんと島田あけみさんのお二人。

島田さんが歌う「アイヌ ネノアン アイヌ(人間らしい人間)」は、首都圏のアイヌ復権運動の草分けの一人、故・鷲谷サトさん(1926年~2001年)が作詞・作曲した歌です。

困難を乗り越え、すべての人とともに歩きたいという願いが、首都圏アイヌのウポポ(歌)として、新しく伝承され始めたものです。

映像と併せ、お二人のアイヌ語の響きに、ぜひ耳を傾けてみてください。

2010年10月28日木曜日

映画で見る人権のちょっと深いとこ

映画祭ボランティアを始めてから、映画好きの友人に会ったときに聞く質問がひとつ増えました。「“人権”って言って思い出す映画、ない?」

そんな中で友人のひとりが急に熱く語りだした映画、『白いカラス』(ロバート・ベントン監督、2003年)。黒人の両親から生まれた、白人の容貌をした男の話。その設定だけでも十分興味深いのですが、ストーリーは、白人として生きることを選び、社会的地位を築いた男が、黒人差別発言で地位を追われるところから始まります。

映画の中で、男がまだ若い頃、つきあっている白人女性と、結婚を前提に男の実家に挨拶に行きます。玄関を開けて黒人の母親が出てきたときの女性の引きつった笑顔。普段はまったく意識しなかった自分の中の差別心を暴かれる衝撃。本人は傷つけるつもりがなくても、その人の中にまるで常識のように根深く染み付いた差別意識が大切な人を傷つける、そんなことにハッと気づかされる映画だった、と友人は教えてくれました。


そんな自分の中のものの見方を、ちょっと広げてくれる映画をもう1本。11月公開の『スプリング・フィーバー』(ロウ・イエ監督、2009年)は、バイセクシャル、ホモセクシャル、ヘテロセクシャルの男女5人の人間関係を激変する現代中国を舞台にみずみずしく描いた傑作です。












昨年の東京フィルメックスで上映されたときは「男同士の激しい濡れ場」として話題になっていたようですが、3人の男性登場人物がそれぞれ違った形で求めているセックスを含めた人間関係を、ぜひ丁寧に追ってみてください。ときに自分自身のことでさえも分からなくなる人間の複雑さ、曖昧さ。その上で、他者を理解することの難しさ、それでも関わろうとするのはなぜか。「純粋なラブストーリーです」という監督のコメントが沁みます。「人権」を考えるときに、そのベースに何をおくか、とても考えさせられた1本です。












写真はすべて『スプリング・フィーバー』

『スプリング・フィーバー』
2010年11月6日(土)より渋谷シネマライズほか、全国順次公開


公式サイト 
http://www.uplink.co.jp/springfever/


(N)

2010年10月23日土曜日

フィリピン、海と子どもと私たち ~ 「鉄屑と海と子どもたち」

フィリピンの貧困地域、という言葉から、私たちが連想するものは何でしょう。
ゴミ山、ゴミを拾って生活する人、衛生状態の悪さ、有害物質……
マイナスイメージが強いと思います。

首都マニラでも最貧地域とされるバセコ・トンド地区。

ここを舞台とする映画が、今年のSKIP シティ国際Dシネマ映画祭で上映されました。
邦題は「鉄屑と海と子どもたち」(ラルストン・G・ホベル監督、2009年)。

同映画祭にて脚本賞を受賞しています。

主人公ら少年たちは、海底に潜って鉄屑を拾っては換金し、家計の助けにしています。

これは非常に危険で、映画の中でも少年がひとり、波にさらわれてしまいます。
映画のキャストは、役者としては素人、けれども現地で実際に潜りを行っている少年たちから選ばれました。
主役の少年は当初文字が読めず、耳で聞いて台詞を覚えました。
それが撮影終了までには文字が書けるようになりました。台本も自分の台詞だけでなく、全体を覚えてしまうほどだったそうです。

映画は丁寧で詩的な映像が印象的です。
ゴミ山や貧困、臓器売買などが赤裸々に、あるいは淡々と描かれつつ、そこにある人々の営みが、静かな感動を呼びます。
私はこれを観た後、貧困地域を、単なる「不幸な場所」と捉えることができなくなりました。

このような子どもたちの存在は、実は現地ソーシャルワーカーでさえ、把握するのが難しいそうです。

映画は彼らの存在を広く知らせ、彼らの支援・安全の啓発につながるような、NGO参入のきっかけにもなりました。

切ないけれども美しい映画を観て、私たちとフィリピンの子どもたちがちょっと近くなる。
彼らを思うことが、日本に住む私たちにとっても、何かのきっかけになればと思います。

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭の作品紹介ページ:

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭「鉄屑と海と子どもたち」

公式ウェブサイト(英語): 
Bakal Boys


(YS)

2010年10月15日金曜日

言葉によって世界を見る~「パリ20区、僕たちのクラス」

『パリ20区、僕たちのクラス』(ローラン・カンテ監督、2008年)は、多様な人びとが暮らすパリ20区の中学校が舞台です。
アフリカ、東南アジア、アラブ系など、さまざまなバックグラウンドを持つ24人の生徒たちと、フランス語教師との日常を描いています。

文化も経済状態も違えばフランス語のレベルさえ異なる、フランス語の教室。まさに社会の縮図であり、現代がかかえる困難さが浮き彫りにされます。「教育」という視点から、いかにして人間の尊厳を守り、相互理解をあきらめないで続けるかが描かれます。

翻って現実の私たちの世界は、よそものを排除する方向へと進みつつあります。
対等な関係を築き、違いを認め合う社会をめざす、多文化共生が謳われた時代もありました。今でも理念的には変わっていないはずです。
しかし、911、「テロとの闘い」以降、安心・安全の確保の名のもとに、同一性を求めるようになりました。

“パリ20区”は、パリでも特に移民の多い複雑な地域です。
住民や移民間の葛藤など、移民の問題はヨーロッパでは日常的な現実。スロバキアでは、ロマの子どもたちが非母語での教育施設に入れられ、サポートはほとんどありません。

『パリ20区、僕たちのクラス』の舞台はフランス語の教室です。24人の生徒たち全員がフランス語という一言語に“統一”されれば、世界はひとつになります。
人は言葉によって思考し、世界を認識し、表現します。言葉というフィルターを通して世界認識します。言葉によって、世界を把握する方向性が規定されます。
とすれば、言語は単にコミュニケーションの道具としてのみ在るのではないことが分かるでしょう。

言語は地域や民族によって異なります。例えば、日本語は「雨」の表現が豊かだと言われます。「梅雨」「秋雨」「狐の嫁入り」など、さまざまな表現がうまれたのは、比較的雨の多い気候ゆえかもしれません。
私たちは言語のフィルターを通して世界を見ています。そこから固有の文化が生まれます。言語と文化は密接にかかわっているのです。この映画が、教室という語学教師と生徒との“戦闘”の場を舞台にしているのは、必然だったともいえるでしょう。


(WE)

『パリ20区、僕たちのクラス』原作~「教室へ」著:フランソワ・ベゴドー、訳:秋山研吉(早川書房・刊)

2010年9月25日土曜日

香港映画に描かれた中国

ジャッキー・チェン主演の香港映画「プロジェクトBB」(2006年)に死刑のシーンがあります。
刑務所の参観者たちの前で行われる、銃殺刑のデモンストレーションです。

香港は返還前の1993年に死刑を廃止しており、中国へ返還された97年以降もそれは変わっていません。一方、中国には死刑制度があります。
全世界の死刑執行数の70パーセント以上が中国で行われています。
「プロジェクトBB」中では銃殺刑でしたが、中国の死刑は、執行にかかる費用その他の理由によって、その方法が銃殺から薬物注射に切り替えられつつあるということです。


アクション満載のエンタテインメント作品「プロジェクトBB」でも、刑務所参観は全くのフィクションというわけではありません。
香港のスタンレーには刑務所博物館があって、いつでも観覧することができます。しかも、その隣には本物の刑務所が。

 アクションやラブロマンス、悪く言えば“売れるなら何でもやる商業至上主義”というイメージがある香港映画。
批判するといっても、バグパイプの音色によってイギリス植民地政府への思いを描く程度のものでした。
だからこそよけいに、観客が作品の中から自由にくみ出す楽しさも、たくさん埋め込まれているのかもしれません。

スクリーンの向こうからぐいぐい押してくるのではなく、何だかわからない残滓があって、「これは腹が立ちませんか?」とちょっと問いかけているような気がする・・・。どのように考えるか、その後は、受け取った側それぞれのことであり、百人百様の感想や解釈があるでしょう。そして、考えない、という選択肢も。

ナレーションもテロップも入れない観察映画「精神」の想田和弘監督は、「主張したいなら、(映画でなく)標語でいい」と言いました。
監督のその言葉に、観る人の内部に在るものと、映画とのぶつかりあいが新しい何かを生み出すとの信念がある、と私は思いました。

映画を観る体験によって、観客自身の現在の立ち位置があらわれ、将来の方向性が見えてくる、そんな“きっかけ”となる映画に出遭いたいものです。

(WE)

2010年8月11日水曜日

ありがとうございました

皆様、こんにちは。
アムネスティ・フィルム・フェスティバル実行委員会の鷲野です。

今年3月に開催した1日だけの映画祭「アムネスティ・フィルム・フェスティバル・ミニ」は、おかげさまで無事に閉幕することができました。
ご来場くださいました皆様に心より御礼を申し上げます。

今後もいい映画祭を作っていきたいと思っておりますので、アムネスティの映画祭に対するご意見、ご感想をお寄せください。

ご意見・ご感想はこちらから:
film@amnesty.or.jp

あれから早や5か月。実行委員会では、次回の上映作品の最終決定が近づいています。
第3回アムネスティ・フィルム・フェスティバル(AFF)の日程は、2011年1月29~30日。今まで以上に充実した内容の2日間にするべく、スタッフ一同、上映企画を練っています。
気になる上映作品の詳細は、順次、このサイトでお知らせしますのでご期待ください。

アムネスティの映画祭やこのサイトについて、あなたのご意見、ご要望をお待ちしております。

2010年8月9日月曜日

これより下は2009年の記事です