『パリ20区、僕たちのクラス』(ローラン・カンテ監督、2008年)は、多様な人びとが暮らすパリ20区の中学校が舞台です。
アフリカ、東南アジア、アラブ系など、さまざまなバックグラウンドを持つ24人の生徒たちと、フランス語教師との日常を描いています。
文化も経済状態も違えばフランス語のレベルさえ異なる、フランス語の教室。まさに社会の縮図であり、現代がかかえる困難さが浮き彫りにされます。「教育」という視点から、いかにして人間の尊厳を守り、相互理解をあきらめないで続けるかが描かれます。
翻って現実の私たちの世界は、よそものを排除する方向へと進みつつあります。
対等な関係を築き、違いを認め合う社会をめざす、多文化共生が謳われた時代もありました。今でも理念的には変わっていないはずです。
しかし、911、「テロとの闘い」以降、安心・安全の確保の名のもとに、同一性を求めるようになりました。
“パリ20区”は、パリでも特に移民の多い複雑な地域です。
住民や移民間の葛藤など、移民の問題はヨーロッパでは日常的な現実。スロバキアでは、ロマの子どもたちが非母語での教育施設に入れられ、サポートはほとんどありません。
『パリ20区、僕たちのクラス』の舞台はフランス語の教室です。24人の生徒たち全員がフランス語という一言語に“統一”されれば、世界はひとつになります。
人は言葉によって思考し、世界を認識し、表現します。言葉というフィルターを通して世界認識します。言葉によって、世界を把握する方向性が規定されます。
とすれば、言語は単にコミュニケーションの道具としてのみ在るのではないことが分かるでしょう。
言語は地域や民族によって異なります。例えば、日本語は「雨」の表現が豊かだと言われます。「梅雨」「秋雨」「狐の嫁入り」など、さまざまな表現がうまれたのは、比較的雨の多い気候ゆえかもしれません。
私たちは言語のフィルターを通して世界を見ています。そこから固有の文化が生まれます。言語と文化は密接にかかわっているのです。この映画が、教室という語学教師と生徒との“戦闘”の場を舞台にしているのは、必然だったともいえるでしょう。
(WE)
『パリ20区、僕たちのクラス』原作~「教室へ」著:フランソワ・ベゴドー、訳:秋山研吉(早川書房・刊)